ニューヨークで10年、もがきながらも勝ち抜いてきたことが誇り
寺岡 慎太郎/ヘア・メイクアーティスト
2003年メイク学科(現メイク・ネイル学科)卒業
在米10年、着実にステップアップを重ねて
ニューヨークに活動拠点を据えて10年。世界に名だたるミューズたちやビッグクライアントを担当し、流行最先端の現場を渡り歩く寺岡慎太郎氏。今や押しも押されもせぬトップヘア・メイクアーティストとなったが、渡米時は「英語も話せず、具体的なビジョンもなく、あるのは勢いだけだった」と語る。「そもそもこんなに長くアメリカで生活するつもりはなく、3年ほどいて、色々経験できれば…という感じだったので」。
何はともあれ英語ができなくては話にならない。そこでまずは語学学校に通う。一方であちこちのイベントに足を運んでは、ファッションやヘア・メイク業界におけるコネクションづくりも注力した。そして、知り合いが増え、様々な情報を得る中で知ったのは、「アメリカで仕事をするのなら就労ビザの取得は必須。しかもそれはかなりの難関である」という実情。画して厳しい審査をパスするためのプロセスを模索していくことになるが、3年目に晴れてビザを取得。その後は順調に活躍の場を広げることとなる。
次なるステップは、ヘア・メイク事務所への所属だった。アメリカのヘア・メイク業界では、事務所に所属しているか否かで仕事の量、質に大きな差が出る。素晴らしいテクニックや輝かしいキャリアを持ちながらも、フリーランスゆえに仕事に恵まれず、消えていく人たちがゴマンといるのだ。
競争は想像以上の激戦となったが、見事に狭き門を突破。ビッグネームのオファーを次々に受け、ヘア・メイクアーティストとして飛躍していく。中でも大きかったのはヴィクトリアズ・シークレットの仕事だ。「自分以外のスタッフは全員トップクラス。皆のレベルについていくのに必死で緊張感MAXの現場だったが、だからこそあらゆるポテンシャルが引き出されていった」。
モード学園と大学のWスクール
ストリート系のファッション誌を愛読し、また当時はカリスマ美容師ブームだったことも手伝って、ファッションやヘア・メイクへの興味を募らせていった高校時代。「ファッションに関わる仕事がしたい」と専門学校に進むことを希望したところ、大学進学を望む両親から猛反対を受ける。何とか両親を説得したくてモード学園のオープンキャンパスに参加し、担当の先生に相談。ところが、意外にも返ってきたのは「ヘア・メイク業界で働くことや、モード学園で学ぶのに年齢は関係ない。大学に行ってからでも遅くないのでは」という答えだった。
悩み抜いた末、モード学園と大学のWスクールという道を選択。「いざやってみたら、双方の授業や課題に追われて想像を超える忙しさで…」と、当時を振り返って苦笑いするが、それでも「気合さえあれば不可能はない」の精神で突っ走った。「あのころはわずかな時間で集中して寝ることを体が覚えていた。今思い返しても、人生の中であれほど頑張った時期はないと思えるほど」。
モード学園でクリエイティブな世界にどっぷり浸かる一方で、大学では経済を専攻。ヘア・メイクに必要な技術や感性を磨きながら、経済を通じて世の中の流れを敏感に察知する感覚を養えたことは、社会に出た後、大いに役立つことになる。また「グループ制作発表会の際に、大学の留学生の友人にモデルを頼んだり、大学の学園祭でファッションイベントを企画したり…」2つの異なるフィールドを持つことで交友関係が広がり、濃密な学生時代を過ごせたこともかけがえのない財産となっている。
世界に学ぶことはやはり多い
モード学園を卒業した1年後に大学を卒業。大阪を拠点に、ヘア・メイクの派遣業を始め、映像関係のプロジェクトに携わったり、コーセー・コスメデコルテのメイクチーム立ち上げに参画するなど、多彩な仕事を手がけた。そして、そのすべてが面白いほどうまくいく。ところが、景気低迷など様々な理由で、ある時期からどんどん流れが悪くなってしまったことから、「ここは切り替えどきかもしれない」と拠点を移すことを思い立つ。ちょうどそのころ、ニューヨーク在住のヘア・メイクアーティストである東野コウジ氏と話す機会があり、また、パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークを旅行で訪れてみて、自分が生活する姿が想像できたニューヨークを新天地に選択した。
自らの経験を踏まえて思うのは、「20代のうちに自由に冒険をして成功や失敗を存分に体験し、人生を生き抜く柱になるものを見つけてほしい」ということ。そして「やはり、若いうちに一度は海外へ出て根を下して生活し、異文化を体感した方が良い」と続ける。何よりも規模が違うのだ。ビジネスも、マーケットも、注目度も、競争の厳しさも。加えて「ヘア・メイク業界に限った話ではないが」と前置きしながら、「日本には素晴らしい技術があるにもかかわらず、それが世界に伝わりきれていない。国、人種、文化の枠を超えて認められるためには、海外へ出て、いろいろなことを学ぶ必要があると思う」と力説した。
ニューヨークでの仕事を継続しつつ、今秋より日本で本格的な活動をスタートさせたのは、5年後、10年後を考えてのアクションだ。「昨今は時代の変化のスピードが加速しているので、物事を長いレンジで考えるのが必然。時代が動いてからでは遅すぎる」。熱いクリエイター魂とクールなビジネスマンの視点、類まれなバランス感覚を武器に、常に先を行く寺岡氏の今後に要注目だ。
寺岡 慎太郎
2003年にモード学園を卒業。翌2004年に大学を卒業し、ヘア・メイクのジャンルにとらわれない多彩なビジネスを展開。2006年に渡米。アデル、ミランダ・カーをはじめ、有名アーティストやトップモデルのヘア・メイクを手がける。現在、ニューヨーク:Joe management 所属。2016年夏より日本での活動をスタート、日本:SIGNO 所属。
※卒業生会報誌「MOGA PRESS」71号(2016年11月発刊)掲載記事