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稀代のクリエイター・山本寛斎の熱き想いを引き継いでいく

FASHION

高谷 健太
株式会社 山本寛斎事務所
代表取締役

規格外の芸術表現にしびれ「これしかない!」と確信

高谷健太氏が“生涯の師”となる山本寛斎氏と出会ったのは、モード学園の4年生時に受講したT.O.L(トップ・オピニオン・リーダー)講義※である。

「ファッションデザイナーを目指してはいたものの、旧態依然としたファッション業界に今ひとつ面白みを感じられず…そんなときに寛斎さんの講義を聴き、魂を奪われたんです。エネルギーの塊のようなキャラクター、ファッションの枠に留まらない規格外の芸術表現にしびれ、これしかない!と。その瞬間、寛斎さんのもとで働くことしか考えられなくなりました」

一途な想いが実り、卒業後は山本寛斎事務所に入社。それから二十余年、高谷氏の前には常に寛斎氏がいた。メディアでも報じられた通り、2020年7月21日、寛斎氏はこの世を去った。憧れて、追いかけ続けた背中には、もう手は届かない。けれども「寛斎さんの教えひとつ一つが自分の中に生きているから、立ち止まることなく進んでいける」と迷いはない。※世界の一流クリエイターを講師に迎える特別講義

特設ランウェイに登場したモード学園の卒業生「今吉加南子氏」の作品。(「日本元気プロジェクト2020」より)

「日本元気プロジェクト2020」をオンラインで開催

寛斎氏がライフワークとしてプロデュースしてきた「日本元気プロジェクト」は、ファッションを軸に日本中、世界中の人々を元気にするイベントである。 2020年はコロナ禍の状況からオンラインでの開催とし、高谷氏は病床の寛斎氏に代わって陣頭指揮を執った。「寛斎さんから託された課題は、『若い人を応援していく』『海外との文化交流を絶やさない』の2つ。加えて『こんなときだからこそ楽しめ!』という寛斎さんのアドバイスを胸に、楽しみながら(大変なことも多々あったが)、コロナ渦中である“今”を切り取った企画・構成にチャレンジしました」

コロナ禍の中で「次世代の若者たちの足元を照らしたい」という願いを込めて比叡山延暦寺の山頂より照射されたサーチライト。(「日本元気プロジェクト2020」より)

そうやって実現させたコンテンツのひとつが、デザイナー志望の学生たちに光を当てる新しい形のファッションショーだ。映像機材会社の倉庫に特設のランウェイをつくり、デザイン学校の学生たちが制作した500点にものぼる作品写真と、代表作品をまとったモデルのパフォーマンスを撮影して配信。さらには、比叡山延暦寺からのLIVE中継という特別な演出を敢行。1,200年間消えることなく灯り続ける「不滅の法灯」が輝く中、比叡山山頂から夜空をサーチライトで照らし、その映像を『苦しくても必ず道はある』という寛斎氏のメッセージをのせて配信した。「未曽有の事態で先が見えない中、本プロジェクトが未来を照らす道筋となるよう願いを込めた」という。

初のオンライン開催については「どこまで伝わるか不安もあった」そうだが、視聴者数は25万人を超え、世界中から大反響。「画面越しでも、しっかり想いを伝えられた。大きな自信になりました」と語り、「もちろん今後も『日本元気プロジェクト』の活動は継続していきます。もっとやってやりたい。寛斎さんが腰を抜かすぐらいのことを」と清々しい笑顔で言葉を継いだ。

最後に、後輩たちへのメッセージをお願いすると、「コロナ後の世界をつくっていくのは、若い世代。だから、『もっと行け!前へ、前へ』『未来に前例はない』『迷ったら新しい道を選べ』」と寛斎氏の言葉を3連発。そして「私たちは、寛斎氏の熱き想いを引き継ぎ、未来を担う才能を応援し続けます」と、力強く締めくくってくれた。


※卒業生会報誌「MOGA PRESS」75号(2021年1月発刊)掲載記事

Profile

高谷 健太
株式会社 山本寛斎事務所
代表取締役

卒業後、株式会社 山本寛斎事務所へ入社。ファッションデザイナーとしての活躍に加え、寛斎氏の右腕となって国内外で世界規模のイベントを成功させるなど、クリエイティブデ ィレクターとしても手腕を発揮。2020年に代表取締役に就任し、ブランド展開からイベントやショーの企画・演出まで、同社の多彩な活動をリードする。