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ファッションデザインの力で、社会を変える、世界を変える

FASHION
小西 翔 デザイナー
2015年ファッションデザイン学科 高度専門士コース卒業

勉強、バイト、旅行……、思いが凝縮された学生生活

在学中から数々の賞を受賞し、将来を有望された小西翔氏は、現在フリーデザイナーとしてNYで活動している。アートとファッションを軸に、クラフトマンシップ、そしてハイテクノロジーを駆使したものづくりを行い、その若き才能に注目が集まる。「もともと僕はバイヤーになりたかったので、ミシンを踏みたくなかったし、そもそも服をつくりたいとはあまり思っていなかったんです」。

その話とは裏腹に、クリエイターオブザイヤー、校費留学制度を受賞し、首席の成績を収める。海外で活動することも早くから視野に入れていたそうだ。「バイトを2つ掛け持ちしてお金を貯めて、長期の休みの旅行を楽しみにしていました。授業の最終日にキャリーケースを学校に持ってきて、そのまま出発するような感じでしたね。当時から、海外に行きたいという気持ちはすごく強かったです。世界中の人と友達になりたいという思いが先行して、学校を辞めて海外留学をしたいと担任の先生に相談したら、断固として許してくれなくて(笑)。そこで校費留学制度のことを教えてもらって目標が変わりました」。

人の体に真剣に向き合うというパラリンピックでの新たな挑戦

その後、渡米し、2つの大学院といくつかのブランドで経験を積み、フリーデザイナーとして独立。次の時代を担える、エネルギーに満ちた若手デザイナーを探していた伊藤佐智子氏の目に留まり、今年のパラリンピックの開会式では重要なセクションを担当することに。デコトラの演出で演者が着用していた、LED付きの衣装は大きな存在感を放ち、高い評価を受けたことは記憶に新しい。

「2020年のオリンピックの開会式が僕の誕生日だったんですよ。だから、開催が決まってから、教務室で『オリンピックで何かしたい!これは絶対に運命だし、僕の誕生日のために開かれる式典に関わりたい!』と、ずっと冗談交じりに言ってたんです。衣装のオファーがきたとき、恥ずかしながらパラリンピックを見たことがなかったし、最初は戸惑って渋っていたのですが、今は本当にパラリンピックでよかったと思っています。今だから落ち着いて話せるんですけど、現場はすごく熱かったんですよ。感動して何回も泣いてしまったくらい。やっぱり演者は障がいを長く抱えながら生きてきて、障がいに対する間違った考えを払拭したいという思いをもって、同じ立場におかれた人達の代表として出るわけじゃないですか。だから、彼らも責任を感じていて、革命を起こしたいというような強い空気が伝わってきて。障がいという個性がすごくカッコいいと心の底から思えるくらい、時代が変わった感覚に陥りました」。

真っ黒な服に身を包み、一見するとクールな印象だが、出てくる言葉はエネルギーにあふれている。「一つくり手としても、こんなにも演者と向き合って、ひとつ1つの身体的特徴や、見せたいことや伝えたいメッセージに全力でぶつかったことは今までありませんでした。大きな勘違いをしていたのですが、もともと耳が聞こえていて耳が聞こえなくなった人と、生まれながら聞こえない人とでは感性が違うんです。でも、それを耳が聞こえない人ということでひとくくりにしてきてしまったんですよね。身体的特徴にしても寸法表じゃ捉えられないし、精神的な障がいを持っている人だと生地の種類が違うだけでパニックを起こしてしまうこともあって、改めてフィッティングの大切さがわかりました。想像していなかった困難な道のりもあったけど、それと同時にものすごく成長させてもらえたと思っています。それに、友達もめっちゃできたんですよ。結局、僕が留学したかった根本の理由にも繋がりました。何より終わった後でみんなから、今まで自分の体にこんなに合うものを作ってもらったことはなかったし、自分をカッコよくするために向き合ってもらったのが嬉しかったというメッセージをたくさんもらって。そのときの感情は、僕が今までファッションに関わってきて初めての感覚でした」。パラリンピックが終わって、しばらくはぽっかり穴が空いたような気持ちになったという。それほどに、短い期間に全力を投じる熱い経験だったのだろう。

自分が培った意志を受け継ぐデザインへの憧れを次世代へ

デザイナーとしての仕事だけでなく、今では「ショウ コニシ デザイン ラボ」を始動させ、既に次世代の教育を始めている。「2017年からオンラインを使ってデザインラボを立ち上げました。自分が留学に挑戦したとき、あまりにも情報が無くていろいろと苦戦したので、その経験を次の世代に還元したいというシンプルな気持ちです。僕にできることは限られているけど、次の世代に思いを馳せるとこんなことやあんなことができるんじゃないかなって夢が広がるんですよ。究極のデザインって何なのか考えると、教育なんじゃないかなと思うんですね。この時代に生きる僕ができるデザインはたかが知れてるけど、その意思を継いでくれる次の世代は僕が想像もできないような素敵なことをするんだろうなと思っています。これは自分の生きがいにしていきたいですね」

今後の目標を尋ねると、思いはファッションという枠組みを超えて、ファッションデザインを通じた社会貢献へと向かっていた。「今、僕はNYでサスティナビリティの研究をしているんです。サスティナビリティっていうのは、ただのエコフレンドリーだけじゃなくて、持続可能な状態で継続させるということなんです。もちろん僕はファッションインダストリーも継続してほしいから、今頑張っているデザイナーにサポートするような役回りとしての活動も考えています。そのためにも新しい人材が成長することが必要なんですよね。ファッションは人と寄り添って人の心を揺さぶる力があるので、自分のファッションデザインの力を使って、例えばマイノリティの人たちや、途上国の人たちとコミュニケーションを取りながら、仕事として持続可能で、かつ世の中のためになるような仕組みづくりができたらいいですね」

PROFILE

卒業後NYに渡り、いくつかのブランドで経験を積んだ後、コスチュームデザイナーMiodrag Guberinicのメインアシスタントを務める。その後パリカレッジオブアート・オートクチュール・ハイテクノロジー・ファッションデザインコースの大学院、パーソンズ大学院MFAコースを卒業。現在は国内外のアーティストの衣装デザインを中心に手掛ける。