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最初から最後まで自分で手掛けたい。そのこだわりが次のビジネスを生む

GRAPHIC
黒野 真吾
プロダクトデザイナー・アートディレクター
インテリア学科
好奇心を追求した結果の
グッドデザイン賞

クライアントと伴走しながら希望を形にしていく面白さ

プロダクトデザイナーであり、今ではアートディレクターとしても手腕を発揮する黒野真吾氏。

絵を描くのが好きだった学生時代。グラフィックデザイナーを志したが、当時はまだグラフィック学科がなかった。別の学校でグラフィックを学ぶ道も考えたが、内装にも興味があったため、学校訪問の際の印象の良さからモード学園のインテリア学科に進路を決めた。
 「当時、学年の代表に選んでもらうことが多かったので、少し頑張って自分を盛り上げていこうとは思っていました。賞も毎年いただいていたんですけど、最後の最後の卒業制作で大失敗しちゃって。徹夜して頑張りすぎた結果、つくっていくうちにわからなくなってきちゃって、謎のオブジェができました(笑)」

卒業後は、校費留学制度を利用して、パリにある学校のプロダクトデザイン学科に入学。当時はデザイン家電がちょっとしたブームになっていたこともあり、新しくつくられていく美しいものに興味を持った。1年半ほど学校に通い、その後3、4カ月の放浪生活を経て帰国することに。
 「海外にそのまま居続ける選択肢もありましたが、パリに居る時に深澤直人さんが書いた『デザインの輪郭』を読んで、この人の元で働きたいと思って帰国することにしました。やっぱり日本のデザインが面白く感じて」

家でポートフォリオを作りながら2、3カ月が経った頃、たまたま募集が出ていて、念願の事務所で働けることになった。
 「めちゃくちゃ忙しかったですけど、入る前からそのつもりでいましたし、何なら給料なしでも働きたいと思っていたので、給料をもらえてよかったと思っていました(笑)」

当時はモックを削る作業ばかり。朝から終電過ぎまでモックを削り、自転車で家に帰る日々が続いた。3Dプリンターが発達した今では、黒野氏は手で模型をつくれる最後の世代かもしれない。
 「この経験は必要だったと思っています。手で造形することで、何かが染み入るというか、魅力に繋がる気がしているんです。もちろん今は3Dプリンターも併用しますが、造形自体を考える時は今でも手で削っています」

モック制作に始まり、カタログのデザインやグラフィック、商品撮影など様々な経験を重ねて8年間働き、30歳で独立。最初はアパレル系の仕事が多く、ファッションブランドのロゴやグラフィックなどを手がけた。今では、企画からビジュアルづくりまでをワンストップで受けることが多いという。企画もプロダクトデザインもグラフィック制作も別の才能が必要になるが、黒野氏はすべてを自ら行う。
 「ただやりたかっただけなんです。カメラマンが撮影しているのを見ていると、自分もやってみたいなとカメラをまず買って、その代金を稼ぐために仕事を持ってくる感じですね。全部自分でやりたいって気持ちが強くて」

クライアントが手探りの状態から黒野氏も参加し、漠然とした希望をクライアントに寄り添いながら具現化していく。その安心感ゆえだろう、独立してからずっとオファーは絶えない。
 「来年は京都で個展をやる予定です。今までの作品を並べて、そのプロダクトの背景をきちんと伝えながら見せられればと思っています。そこに、オリジナルで新しいものを加えられれば」

クライアントと二人三脚で生み出されていくプロダクト たち。そこには、つくり手の思いが刻まれている。

※卒業生会報誌「MOGA PRESS」78号(2023年11月)掲載記事

PROFILE

黒野 真吾
プロダクトデザイナー・アートディレクター
インテリア学科

1985年、愛知県生まれ。モード学園卒業後に渡仏し、帰国後、深澤直人氏の事務所を経て30歳で独立。時計「sazaré」、消臭スプレー「NIOCAN」、九谷焼「ETHNI9」、メンズコスメ「HAUT」、クラフトビール「NORM」、アパレル「1/f(CLOTHING)」…と、様々な製品のブランディングやグラフィック、WEBデザインなど、プロダクトデザインに留まらず幅広く制作。2024年、京都にて個展を開催予定。