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ファッションだけに留まらずに、いつの日か文化の創造を目指して

FASHION
安藤 慶次
デザイナー/ファッションデザイン学科卒業
パラリンピックの閉会式でも
衣装デザイナーとして抜擢

人との縁と制作への情熱が新たな世界を引き寄せる

衣装デザイナーとして、数々のアーティストやCMなどを手がける安藤慶次氏。モード学園卒業後すぐ、テレビ番組への出演もあって、デザインユニット『Future eyes』として世間から脚光を浴びた。
東京コレクションにも参加し、華々しいスタートを切ったように見えたが、当時、その実は焦りの気持ちがあったという。「実際に活動していくなかで、圧倒的に実力が足りないと思い知らされる一方、自分たちが主役のような形でメディアに出ていくのがストレスになってきたんですね。もともと職人気質ということもあって、自分はもっとこうしたかったという思いが、やればやるほど増えていった気がします」

その後、縁があっていくつかの男性アイドルグループの衣装を一手に引き受けることに。まだ弱冠26歳のときのことだ。「歌って踊れる衣装をつくるって、すごく大変なんですよ。可動域や重量も考慮しながら、自分でパターンを引いて、素材を選んで、デザインをして。そんなことを続けていたら、自然と自分が納得できるくらいの実力がついていきました」経験を重ねるごとに、『Future eyes』の頃に抱えていたギャップが埋まっていった。

衣装デザイナーとして充実した日々を送る中、メンズのオリジナルブランドを立ち上げることに。理由は原点にあった。「もともとコンセプトワークが好きで、何かモノをつくるにあたって、その理由を組み上げていく作業が好きだったんですね。でも、コンサート衣装というものは、ある程度構成が決まっていて。僕は根本からつくる作業が好きだったので、自分でイチからつくってみようと思ったんです」

三宅一生、山本耀司、川久保玲に憧れて歩み始めた道だったが、場所はパリではなくイタリアを選んだ。現地の展示会でも好評を得ていたが、つくることだけに注力したいという思いから、ビジネスとして経営していくことにストレスを感じ始めていたという。そのタイミングで、人との出会いが安藤氏をCMの世界へと引き合せる。「コンセプトワークという意味でも、僕はCMの世界に合っていたんだと思います。当時、実績はありませんでしたが、クリエイティブデザイナーがつくり上げる色合いや雰囲気から一緒に入って話し合えることになって。そこからまた次の仕事へと繋がっていきました」

歌って踊れる特殊な衣装制作の世界で培われた力量もあり、昨年はパラリンピックにも衣装デザイナーとして参加を果たした。「衣装というものとは“最も身近な演出”。パラリンピックにおいては戦闘服で、着替えるだけで身が引き締まる作用もあります。パフォーマーの動きを邪魔せず、それを演出する装飾をほどこし、気持ちを上げる。制作するにあたって心がけていることです」

今でも“架空のアーティストの衣装をつくる”というコンセプトの個展を開催するなど、あふれる情熱は尽きない。最後に今後の展開について伺った。
 「大きな話で言うと、何かしらの文化をつくりたいですね。衣装デザインはもちろんやっていきたいですけど、関わった人の人生が変わるようなことが何かひとつでもできたら、その繋がり、広がりが文化になっていくと思うので、それができたら僕は満足です。架空のアーティストが一人歩きしていくようなことも、いつか現実になっていくかもしれないと思うと面白いですよね」

※卒業生会報誌「MOGA PRESS」77号(2022年11月)掲載記事

PROFILE

安藤 慶次
デザイナー/ファッションデザイン学科卒業

1976年、宮崎県生まれ。1998年、エールフランス世界コンテストにて日本代表に選出。在校時より『Future eyes 』として制作活動を行い、テレビ番組『仕立屋工場』に取り上げられ、一躍時の人に。その後ジャニーズのアーティスト衣装を手掛け、ミラノでメンズブランドを立ち上げるなど精力的な活動を行う。昨年のパラリンピック閉会式の衣装も担当。日本を代表するコスチュームデザイナーのひとり。