【特別講義】〈パリ〉メゾンキツネ黒木理也が語る、「好奇心」「創造力」「行動力」

授業

2025.12.2

【特別講義】〈パリ〉メゾンキツネ黒木理也が語る、「好奇心」「創造力」「行動力」

モード学園では、世界のトップクリエイターを招いた特別講義を随時実施し、その感性やクリエイティブ術を学生が直接学ぶ機会を創出しています。今回は、パリ発のライフスタイルブランド「メゾンキツネ」の共同設立者、黒木理也氏による特別講義を行いました。「好奇心」「創造力」「行動力」をテーマに、学生たちに向けて熱く語っていただきました。

人生を切り開いた「誰かを喜ばせる歓び」

日本で生まれ、12歳で母親とパリに渡った黒木氏。パリ19区という厳しい環境の中で育ちながらも、スニーカーや音楽への憧れを原動力に18歳でNYへ。ストリートカルチャーやNYのエネルギッシュな雰囲気を肌で感じながら、皿洗いや厨房そしてメッセンジャーとしても働きました。その経験を通して、自分が「人の為に動き人を喜ばせることが好き」だと気づき、自身のアイデンティティを見出したと語られました。その後、パリに戻り、当時ダフトパンクのマネージャーをしていたジルダ・ロアエック氏と2002年に「メゾンキツネ」を立ち上げ。ブランドが辿ったその後の軌跡は、多くの人が知るところです。

大切なのは「結果」より「プロセス」

黒木氏が学生たちに強調したのは、「結果」よりも「プロセス」の大切さでした。「失敗やうまくいかないことなど、そんなのは当たり前のこと。答えや結果を求めて動くと、人は動けなくなる」と語り、まずアクションを起こすこと(行動力)の重要性を力説しました。また、「なぜ?」と思う好奇心は創造的な活動の「モーター」であり、創造力にはリミットも、ルールも法律も存在しない、最も強い世界だと。

自分らしく「素直に生きる」

「特にクリエイションの分野だと正解はない。みんないい環境にいるし、生き方にルールは無いし、どんな形でも好きなように生きていいと思うんだよね。今を生きようよ」と黒木氏。ファッション、ミュージック、カフェ、「自分たちの好きなものをシェアしたい」という想いをもって立ち上げたメゾンキツネを体現する言葉でした。

海外で感じてほしいこと

また、文化の違いを恐れず、むしろそれを楽しむ姿勢も印象的で、文化の違いこそが創造性を生み出す源泉だといいます。本学では、海外でのインターンシップや海外のファッションの名門校への校費留学制度があることに触れつつ、日本人として海外で何を感じたらよいかを尋ねると、「すごくいい制度ですね。海外に行くなら、おじいちゃんやおばあちゃんの家で刀を探して、それ持って飛び出せばいいんだよ(笑)。日本人は、島国の人間で強く、何も無い更地から多くのものをつくり上げてきた魂をもっているんだから怖いものはないと思うよ」とユーモアを交え気さくに答えてくださいました。

好奇心を失わず、楽しみながら生きること。それが、黒木氏の人生哲学であり、次世代のクリエイターへのメッセージでした。

学生とのQ&A

ブランドを成功させるために死ぬ気でやった行動は何ですか?
死ぬ気になったことはないな(笑)。楽しみたいだけだから。毎日を楽しむためにこの会社を作りました。最初はDJをしながら毎週末になるとヨーロッパの各首都を回り、その都度なるべく多くの人にブランドの話をして、日曜に帰ってきて、月曜にはまたオフィスに行く。自分たちでずっとコツコツと色々なことをやってきました。
黒木さんの次の目標は何ですか?
楽しむこと。仕事からは少しずつ離れて知らない食文化を楽しみたい、仲間たちとの時間を過ごしたい。旅に出たいね。行ったことのない環境を見てみたい。その時間を作ることが次のゴールかな。なぜかというと、環境の変化が好きだから。行ったことのない場所、知らない場所へ行き、見たことのない景色、会ったことのない人に飛び込むのがとても好きで。「刺激探し」なのかもしれません。

学生からの質問に対しても、柔軟かつ率直に答え、「わからないことだらけなら、始めてみたら」「自分の人生は自分で決める」といった力強いアドバイスをいただきました。

黒木理也氏 プロフィール

1975年東京都生まれ、12歳の頃に画家であった母とパリへ移住。1990年代アートムーブメント真っ只中のパリ(19区)で育つ。
18歳でNYのミュージックシーンに憧れ自立しブルックリンに3年程暮らす。パリに戻り建築を学びフランス一級建築士の資格を取得。2000年頃よく通うパリ(1区)のレコードショップでGildasと出会う。
当時DaftPunkのマネージャーをしていた彼と意気投合。ファッションと音楽、飲食と環境など多数の分野が融合したユニークなライフスタイルブランドを作ろうと決心。2002年にKITSUNÉを立ち上げ、現在に至る。